古き昭和の価値観。大人たちがやるべきこととは?
筆者は昭和57年生まれ。
日本で言うバブル景気の時代に産まれたが、幼い記憶を辿ってみても裕福ではなかった記憶がある。
日々、色々な方とお話をする機会がある。
中には、若かりし頃の修業時代、たいそうな苦労をされ成功を収められていらっしゃる方の話を伺うこともある。
「駆け出しの頃、罵声は当然で殴られたり、蹴られたりして、たたき上げで成長してきた。」
同じ昭和を生きたものとして、古き良き時代の思い出を拝聴するのは聞いていて楽しい。
しかし、
「だから今の若者にも同じように苦労をして成長していってほしい」
「私の時代は、こんなに楽ではなかった」
「駆け出しの見習いなんだから、これくらい耐えなきゃだめだ」
時々、そんな美化された価値観も聞かされたり、実際に押し付けてしまっている様子を散見した。
正直、これは違うと思った。
例えば、もっと年齢を重ねている方、ご先祖様からこのように言われたらどう思うか?
「私は戦争を経験して、多くの犠牲の上にいまこうして生きて居られる。あなたも、あの悲惨な経験をしてきなさい」
っと。
はたして、先人が経験を積んできた昔の価値観を後世に引き継がなければ、一人前にならないのだろうか?
現在は、令和6年。
昭和から目まぐるしい変化があった。
ダイヤルアップからADSL、FTTTH光回線へのインターネット環境の変化。
ポケベル、PHSからスマートフォンへの通信環境の変化。
SNSやメディアによる情報の受け取り方の変化。
自動車や家電だってそう。
テロと戦争
リーマンショック
自然災害
世界規模の感染症
一見して豊かにみえる日本も、不登校や引きこもり、いじめ、自殺者数・・・昭和の頃と比べると夢や希望を描きにくくなっているのは明白だ。
今を生きる現代人の大多数は現実的で保守的で、懐古的。
金、すべては金。
コストパフォーマンス、タイムパフォーマンスばかり気にして、本当の意味で人生を楽しめているのだろうか?それは自分自身にも。
人と人とが繋がり、顔と顔を向き合ってコミュニケーションを取る機会が、利便性と共に消えつつある。
そして、人を信じるのが容易くない時代になった。
人を信じることもできず、疑い続け、やがて自分も疑う時代。
若者の心も疲弊し、なんとか現状を維持するだけで精一杯だと思う。
そんな中「私と同じように苦労をしなさい」なんて、言われれてしまったら、強いられてしまったら心はもろく壊れてしまうだろう。
昔と今では、全くもって違う事。
美化された価値観では、現代に全く通用しないこと。
後世に伝えるべきは、そこではないという事。
筆者を含め、大人たちが、もっと若者に対して寄り添い、手を差し伸べてあげる必要があるのではないか?
大人は、ただ指導者の「地域活性化」や「地方創生」の大義のもと、経済活動だけを活発化させさえすれば良いのか?
過度なPR、サービスを提供し、オーバーツーリズムを発生させ、現地を疲弊させるだけの観光活動だけで良いのか?
そんな「お金が全て」の「インバウンド重視」で良いのだろうか?
人と人が出会い、地域と地域が繋がり、心と心を通い合わせることのできる、交流人口の多い町になってほしい。
その為に、何ができるのか常に考え行動を起こしたい。
そして、こうした行動がゆくゆく価値観の押し付けをしていく老害にと自分がならないようにも戒めたい。