名古屋中心部散策。「土岐をかけるやまだ」なんて言ってますが土岐市に戻って来たのは11年前。言い換えれば、ぼくも余所者みたいなものだったりします。
名古屋とやまだ。
別にシティボーイ気取りをする訳でもありませんが、土岐市出身、土岐市育ちでありながら、社会人になり人生の1/4ほどを名古屋で過ごしてきました。
古き良き昭和、平成初期。おもちゃのBANBAN(現在は靴流通センター)は幼い頃、本当によくお世話になりました。
ひでよしの学生セットも食べて育った。
昭和58年頃?の土岐市駅前。この外観もうっすらと記憶に残ってます。
若者の地元離れ。
中学にもなれば多治見の街に憧れ、よく電車に乗って繰り出してたし、高校にもなれば名古屋へ刺激を求めて足を運ぶことも増えた。
若い頃って、どうしてか都市に惹かれる。
若者が地元を離れることを悲観するようにみえる市政や活動団体を見聞きしますが、自分がそうであったように、若者の都市への憧れは必然であり、それはそれで正しいのかもしれない。
地元を離れ、故郷を客観的に見ることができなければ、将来家庭を持ったり両親を介護するような立場になった際、故郷のなんたるかを本質的に気づくのは難しいように思う。
だから「都市で暮らすこと」ことは「故郷を客観的にみれるようになること」。できれば若いうちに経験すべき必要な作業であり要素なのかと思う。
サラリーマンを辞めて土岐市へ帰ってきたのも11年前。
「土岐をかけるやまだ」なんて名乗ってますが、ずっと地元で働き、生活をされている方からすると、言い換えればぼくは、余所者みたいなものです。
車で15分、20分も走れば中心部に行けた。
こっち(土岐市)に帰ってきたとき、名古屋で見て来た、感じて来たものとは、また違った良さが土岐市にあり、今まで気が付けなかった故郷の魅力に衝撃を受けたのを今でも覚えています。
とっくりとっくん
駄知町・旧カクサ邸
土岐音頭
まぁ、これ以上にいっぱいあるんですが、またそれは別のお話で。
今回は地元ネタでなくてごめんないさい。
名古屋の専門学校へ通い、そのまま名古屋で就職、一旦地元へ戻ったものの、また名古屋へ就職。
学業から仕事、遊び、恋愛、生活を名古屋で過ごし、立ち寄った場所や出会った人々、食べた料理、出来事、想い出が詰まった町でもある名古屋。
高校時代、20万画素くらいのデジカメで撮った写真。久屋大通ね。
この辺の写真だと200万画素くらいのデジカメかな。100m道路。
今でこそ地元ばかりが行動範囲となり、コロナ禍において名古屋への足も皆無となっていましたが、もう何年ぶりだろう?10年?いや8年?
そんな久しぶりと言っていいほどの名古屋散策。
ここからが2022年の写真。
名古屋の道もだいぶ覚えたけど、すっかり忘れちゃったし変わっちゃったな。ルーフを突き抜けるような高層ビルが立ち並ぶのも都市部ならでは。
学生時代から何度と通った大須商店街。
恋人と並び歩いた中区栄。
変わらない場所も多く、でも変わった場所も多く。
ただ歩いているだけで、記憶の欠片を拾い集めては懐かしんだり、全く別景色となった場所をみて「こんなのが地元にもあったらなぁ~」などと思い馳せる。
あ、なんか似たようなの土岐にもあったわ。
当時からよく使っていた大須のパーキングも健在で安心した。
なんやかんや現地で食べたものは学生の時と変わらんやん(笑)
本当はkitchenトーキョーで食べるはずが、残念ながら定休日でした。
リーさんの唐揚げも相変わらず人気やね。
パクチートッピングしときゃ良かったな。。。
相変わらずコロナ禍のせいか、ただ単に平日だったからか分からないけど人通りは少な目で、都市部も思いの他歩きやすい。そーいや、キャッチが全く居なくなってた事にいま気が付いた。
散歩の為に、県外へ出かけることが不要不急かと言えば賛否あるだろうけど、ずっと地元にいることで良いことも多い反面、外を見る視野が狭くなってしまったり、価値観が偏ったりしている自分を感じることも多い。
それに、地元に帰って来て「素敵だな」と思う事を沢山発見できたけど、それと同時に「ここが残念」と思う事も少なからずある。
変化が訪れる土岐市。
今年秋にはイオンモール土岐が開業する。
例えるなら、土岐市であり土岐市でないような場所。
TOKIプレミアムアウトレットとの相乗効果もあり、ぼく以上の余所者が多数土岐市に足を運ぶでしょう。
「井の中の蛙大海を知らず」
東濃は山に囲まれた盆地であり海も無い。
地盤が強固で災害の少ない安全な町と言われているが、逆に外からの風(情報)が入りにくい閉鎖的な土地でもある。
それは名古屋から土岐市に帰ってきた時、真っ先に印象を抱いた。
変化に順応する為には、外を知る必要もある。
その日、人類は思い出した。
奴らに支配されていた恐怖を。
鳥かごの中に囚われていた屈辱を。(進撃の巨人より)
だから時に壁の向こうへ。
こうして名古屋を歩いてみただけで大海を感じることができた。
都市と田舎、これはこれでお互いに必要不可欠な関係なんだと改めて思った。